2016年1月30日土曜日

チャイコフスキー

 いわゆるキャリアの出発はダメな文官で、仕事を辞めて趣味で音楽するところがまたいかにも好きですね。

 朝日新聞の関根記者の影響でオリンピック閉会式のクマの涙に感動して以来、ロシア語まで自分で勉強してある程度話せる程度ロシアにハマっています。まあ色々ありますが。

 チャイコフスキーが好きなのです。

 Tchaikovsky : Symphony No.5 in E minor op.64 Karajan 1971


 
 子供の頃暗譜できるまで聴き込みました。ピアノで弾いたりしてたなあ。19:20からの旋律はまるで気分はロシアの地下鉄(?)っぽい壮大さだけれども、カノンコードなんてもんじゃなく、これを混ぜています。

 現代音楽とか好きじゃないんだ、モグリだね。と思った方は、おそらく私がマスタリングで何をやっているか聞こえていないのだと思います。聞こえなくても、その方がいいのですが (泣く)。FTだけでなく厳密な計算しなくても頭の中でIFTで基音を探ってみたり、可聴帯域における倍音の再構築、ディザ、.. , .., etc. 作曲部分を抜き取れば残響や残余は機材を用いたか楽器を用いたかの違いです。

 オーケストラを引き合いに、国策芸術って把握をwatさんもなされていて、さっすがー、と思ったのだけれども、芸術って今は予算でやる領域で、そういう芸術よりも民間伝承とか人類学の扱うようなものが個人的な興味の範囲です。お金ないから。もらってないし。くれ。くれたら芸術家になるよ。で、まあ小難しいけれども、調性を何か劣ったものと捉えている人がいるとしたらそれは悲しいですが、そういう目に向けておいて淡々と調性の「音響」を仕上げるの楽しいですよ。

 あとバッハも混ぜたんすよ。



 
 まあでも「なぜ舞台芸術は失敗したのか」ということについては、その予算取りのリアルも含め、もっと真剣に考えた方がいいと思います。例えば、専用劇場を持っている上、3億円の文教予算は少ない!といっている公務員がゆったり談笑なんかしながら働いているところ、出音がSPAC程度であれば、これはもう数の暴力で、民業圧迫の衆愚ですよね。かといって、ゴーチの二番煎じでゴーチした大ボラ吹きな人を温存できる民間は問題大有りで、どちらも理想とは程遠く相殺しているところに停滞をみますが。

 構造主義と野生の思考はドブ板です。しかし、道祖神の方が尖っていることは確かで、実際、突き上げられるように尖っています。

 チャイコフスキーが鏡音リン・レンとか見たらなんていったんだろうな。開発者褒めただろうな。