2016年8月27日土曜日

ソーシャルはゴミであるという話

 一般的な社会経験も(そうでないものも)あるので、最終的な着地点こそ定めていないけれども、近距離では自分なりに着地点として考えていることがあります。それは、こそこそやります。中長期でも、そのストーリーで行く自信があります。木星に行くか、アクシズで地球圏に帰還するか、逆でもいいけれども、問題はそのあとです。パン工場を制圧した先。

 まあでも社会経験があるということは生きていかなければいけないという自覚があるということです。そこで、悪魔が囁くかもしれません。人脈がないと生きていけないよ、と。天使や神や魑魅魍魎が、人脈によっておたのしみなのを見るかもしれない。私はこれに断固反対の立場です。すべての人が等しく、人脈がなければ生きていけない、ということはありません。むしろ「強い人」には、人脈は必要ないのです。正直に申し上げると、私は今日まで生きてきて人脈は「邪魔だ」と感じることが多々ありました。

 例えば、こうです。内輪と外の世界との違いを吸収できない強い内輪の世界。あるいは、紹介を待ってみたり、ろくでもない、つまり必要性のない余計なちょっかいであるような紹介を受けて数日と数万を無駄にしたり。自腹で想像してください。キツいです。怒りはないけれども、カネが絡む後半は、やはりキツい。

 要するに定収入程度のカネがあればいいわけです。そのときに人脈はなんの役にも立ちません。人脈は国ではないのですが、カネを発行しているのは国ですから。欲しいのはカネです。タダのカネではなくて、楽して手に入るそれがいいです。

 そういうわけで、私はそういう長期的視点に立つつもりは一切ないです。

 年齢的にも、他の人はもっと年齢を重ねてやっていることを、自分は10歳以上は若いうちにやってしまったので、あまり気遅れることもありません。ときに生き急いで常に最先端であろうという欲が出てしまいますが(大体、何もできていないひとが大半であるこの世の中で、そんなことをする必要性はないのだけれども)、それを適度に抑えながら、のんびりやっていこうと考えております。

 故に、私にとってソーシャルはゴミでしかないのです。人生長いから多少なり誤差はあっても、足を引っ張ってくる関係性には、亀裂を入れるしかありません。ただ、ときには平然と嘘をつくように、コッソリ黙って空気を切り裂いてしまうことが、配慮だと思うのです。なかよしでありながら線を超えないよう、静かに。ある日突然電源が入らなくなった、程度でいいと思います。

 ただ、ソーシャルや社交的振る舞いを必要とする馬鹿..アンパンマンもいます。そこは、ストーリーを維持するために、保守のために、やられなければいけないのです。正義の反対は別の正義ですが、そんなものはタテマエです、我々バイキンはバイキンでしかない。あんぽんたんに殺られないようにシャブおじさんと一席ね。シャブシャブで。