2016年1月12日火曜日

乞うご期待 ください ? ん?? という日本語での表現

 ふたつあります。

 ひとつは、安易に「外人」という表現を企業組織の人が用いることへの違和感です。これは、クリプトンさんもセガさんもやっていますけれども、やめたほうがいいと考えられます。特に、セガの人は気を使わない場合、ビジネスとして問題になります。

 日本語圏にいると馴染みがないのですが、外国の方で、特に英語圏の方はしばしば「バカガイジン」という概念を「やってはいけないこと」として規律内面化していることがあります。実際にバカガイジンなんていう日本人はいないし、いたとしたら相当特殊な性格の方なのだろうけれども、「ガイジン」は広く知られている単語です。ロシアでは、戦争ゲームで有名な会社の名前(ガイジンソフトウェア)にもなっていて、一見すると侮蔑的な意味合いがないように感じられてしまうけれども、それは単にロシア的な日本への憧れを含んだジョークなのです。

 したがって、外国の方が多く目にする公共の場で(こともあろうに初音ミクのアイコンを企業を背景に使いながら)用いることが望ましい単語ではないです。ミスは誰にでもあります。わからないことであったり、誤解を招く発信であれば、企業活動の一端である以上は賛否に限らずマナーとして「やめたほうがいい」です。やるなとはいわないけれども。

 次に、彼をチェックしつつ、 http://snowmiku.com/2016/coll.html#coll_07 というものを見ていたのだけれども、「乞う」「ご期待」「ください」って、「ください」が「乞う」の再帰表現になってしまって違和感を感じました。これは、正しいであるとか間違っているであるとかいうよりは程度の問題なのだけれども、違和感は感じられます。同様の表現では、例えば、乱数Pさんが「セルフカバー」という表現を例に出しつつ、その違和感を述べられていた記憶があります。

 だから、この場合「乞うご期待!」か、あるいは平易にまとめたいのであれば「(今後の展開に)ご期待ください。」がプレスリリースとしては、より自然で望ましい表現、ということになります。

 以上の2つですが、後半は仕事の文なのでどうでもいいのです。問題は前者で、わが国や日本語を母語とする文化の内側からみている「外国」や、もう少しわかりやすく言い換えると「海外」という概念それ自体を含めて、もうちょっとだけ哲学する必要があって、それがそのまま誠実な対応ということなのではないでしょうか、ね。

 その表現やるな、やめろ、とはいわないけれども。ただ、いち社会人としては、顔をしかめてしまうね。「気をつけなよ」で済む新人で扱われたくなければ、以降二度とやらないでもらいたいし、それがチームリーダーであれば、場所によっては国際問題を引き起こす前に当該人物へ処分があるレベルのミス(ex. 滝クリを「外人」と発言したために発生した問題)ではある、と思いますけれども。今後のご活躍を心より祈念いたします。

 ん?ん?。みんなで一緒に、以後気をつけて欲しい、ってだけですよ、変な内輪の流行りになる前に除去するものは除去するっていう。国籍問わず老若男女いろんな人が関わっているらしいので、表で可能なことはさっさと表で投石もしようという話でね。最後に、日本語を学習する人が理解できる範囲で用いる語彙や文というものを、私を含めていろいろな人がもう少し考えてもいいかもしれないのかなあ、とか。ただ、ですよ。このレベルの規模の話でこの状況では、脇が甘い、ですね。

 外国の方には、このような異文化理解の水準のままメインストリームから文化が発信されている事実を心よりお詫び申し上げます。けれども、日本語の文化圏も大変広いです。未熟を詫びつつ、目下膨れ上がっている状況の商業にはいろいろな人物が関わっている、ということを「斟酌」いただけたらと思います。