2016年12月10日土曜日

100年後は長い

 藤田咲さんが夏目漱石を「100年たっても色あせない作品」 とおっしゃっていて面白いです。昨年から下田麻美さんもご出演されておられる朗読劇に出ての感想なのだそうです。

 私は、夏目漱石以前には、その方面のいわゆる純文学の国内市場が実はなかったんじゃないかと考えています。どうなのかしら。いくつかあるのですよね、国文学であったり貸本の流行や弾き語りなどなど。八犬伝も国文学かなあ。そこに民俗の分野に入る神話や伝説があって、いわゆる文学ができたのは最近なのかなと。文学は持ち込んだもので、そこに断絶があるとも、混交があるとも。

 100年耐えた例では、作曲でいったら『ゴンドラの唄』だけれども、歌手は変わっているのか。100年後は歌舞伎か落語でも見ている感じなのかな。100年はデカいですねえ。

 

 100年後に残っているものは家の開祖や自治体くらいのもので(なかったら怖いわな)、遠い話ではあります。国策で残るものは一部のものであって、いわゆる広く民間のものはより熾烈になるでしょうね。

 100年前はラスプーチン死去、近いものか遠いものか。

 自分はどうかというと、100年単位で世の中考えたことなかったけれども、100年単位の方がこの人生は楽になります。60年程度でもいい。些末なことがたくさんある。いやホントに。では100年後に会いましょう。


 僅かな発言でも興味深いとか面白いものがあると見つけて喜んで受け取るのでした。