クリプトンさんの分かりやすいモノづくりガイドラインとして「テレビで放送できる程度のもの」、という範囲が設定されていたのですが、今回「昭和天皇を燃やす」という節がサンジャポで触れられました。したがって、なんと、今回は、昭和天皇を燃やしてもいいし、慰安婦の像を出してもいい、という表現の「自由」を手に入れたのです。すごいことですね!
ボーカロイド鏡音リン・レンに関しては、その発生は決して芸術ではありません。おそらく民俗に近いところです。しかし、思想が一般大衆化したとき、衆目を引き大衆的である芸術という分野を包摂しても、何も不思議はありません。
だから、津田大介さんや東浩紀さん、その他騒動にかかわった人たちによって、今回は表現の自由が広がったということです。
もちろん、グロティウスの海洋自由論の背景からチリのピノチェト政権に至る覇権と自由については頭に入れる必要があります。自由とは政治的にどう使われてきたのか。
しかしながら、表現の自由が、時代の趨勢で一歩前進したことになります。
残念ながらわが国は、芸術性の有り無しや快不快といった個人の些末な印象論を語る後進国ではありません。「自由」を使っていく必要があります。