2018年6月5日火曜日

インターネットに沿った生活を地方から考える

インターネットに沿った生活とは何でしょう。たとえば、インターネットがあれば大抵の実用向き、たとえばオーディオなどの嗜好品は、お金があれば手に入るようになりました。ZOZOであれ、ロードサイドのセコハン文化であればであればヤフオクもあり、ハードオフも「ネットモール」があります。

こうしたものは、小売店で買うより圧倒的に安価になりました。

そうすると給料があった方がいいわけで、働きに出ます。そこで給料をもらって、ネットで物を買うと、淘汰されるものがありますが、それは地元の商店街ではありません。商店街というのは、ロードサイドのチェーン店に既に淘汰されているのです。こんどはそのロードサイドのチェーン店が淘汰されます。そういう段階にきています。今後、食住にかかわる分野が進出してくると、大手スーパーモールのようなチェーン店がさらに淘汰されるのです。

地方の先人は、車社会を見据えて、ロードサイドを生み出すだけの投資をしました。それは賛否両論で、私はどちらかといえば結果論としては不正解だと思うけれども。たとえば、老人が免許を手放さないことで起こるトラブル。上前が高くつくロードサイドの店舗。

ところが、車がブーブーいっている物理要因とは別に、ロジスティクスを率いたインターネット社会がやってきます。

実のところ、先に述べたように、車社会に情報社会をかけると、ロードサイドのチェーン店は余ります。淘汰の対象なのです。

ソーシャルや社会生活・人脈などはどうしようもないでしょう。そんなものは些末な付加価値に過ぎないのです。だから、もっと現金の流れに沿ったインターネットの価値観にあわせて、まるで車社会で道路を走る車を持っていると移動が便利だというようなアナロジーでもって、インターネットを使っている方が諸々楽であるような形を考え、実践することで、より有意義な生活を送ることができるのです。

もうやってる人は多いはずです。しかしやっていない人もかなりいます。そういう人は、免許取るつもりでインターネットをやってみたらどうでしょうか。安いものを探して、その「物」を買ってみるとか。そこで用いられる検索などのフィルタこそ、リテラシだと考えます。