2016年10月1日土曜日

時代が違えば批判が一貫して有効であるとは思わない

 10月は気を緩めたらいけません。気候の変化に体調がついていくことはもちろん、舌禍や批判も口先ならまだ知らず、批判ばかりのバカ小僧になっては、そうみられてしまっては、気も重いものです。

 ここは日本ではありません。富士市民にとって国防はどうでもいい遠い話ですが、東京都民は改憲に対して慎重かつ建設的に考えなければいけません。そういうとき、たとえば、実質「都民」のいい年した大人が現実もわからず、自衛隊に関するパフォーマンスに、一々腹立ててはいけないでしょう。

 そういう批判的パフォーマンスをなぜしたのか。それは、本当に必要なのか。

 時代の空気により要請は変わるのです。批判や皮肉を続けていうなら、その批判の応酬にその人たちは沈んでいくのでしょう。そういう今の時流や空気、局面にあわないということでしょうね。

 「我々」は、そのタコツボに入るべきか。入る必要はないでしょう。どうです?

 これは、自分に言及してくれた人が「よかった」と思ってくれるかどうかを考えると、より明らかになります。

 私はもう若くはないし、ガンガンと問題提起したり批判していくよりは、なにか言及していただいた際に、過去にも遡及して「よかった」と思っていただけるような方向にもっていきたいと考えています。

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 全然関係ないけれども、ケータイの充電ケーブルが(Macに続いてまた)断線してしまって、私いまケータイが通じないのですが、面倒なのでこのままでも、いやケータイはさすがにまずいかな。

 なんかもう大人だからなのか、面倒だから壊れたままにしておくのも悪くないと思うようになってきた。

 忙しいのもあるのです。私はここから先、まだまだ勉強して、多少は努力と根性も駆使して、同時にやることもやりますよ。だから忙しいけれども、ここ東京じゃないし、わざわざ買いに行くのは結構面倒くさい。

 ま、そんなこんなですぐトリックオアトリートとかはじまっちゃうんでしょこれ。