2016年9月10日土曜日

本とCDを消尽の側面から考えた話



 物というものは、本当に使い込むと消尽(quenching; 使い果たす)されてしまうのです。本もCDもそうです。

 消尽されるという側面から、本や音楽を考えると、合点がいくことが多いです。

 特に本は、使い込むとズタズタボロボロになって、装丁も剥がれてきます。厄介なのは参考書で、こんなもの(引用だって適当だし短期の教育用途だから)買いなおしたくないというのが本音ですが、やはりそれなりに使い込めば、二冊目が入用になることも多々あります。

 CDも、ハードはすぐ壊れるけれども、それにくわえて、盤も擦れてしまえば読み込まなくなったり、あるいはブルースペックCDのようにパキンポキンに割れてしまうこともあります。

 じゃあデータにすればいいじゃん、と考えがちですが、デジタルのデータはそのままアナログのものを置き換えているわけでもないし、本などは、印刷されたフォントなどもあるので、特にそうでしょう。音楽にしても、クラウドに置いたからといって、管理会社が倒産したらそこでご臨終だったりするので、これも消尽という面から考えたら永久ではないです。単なる権利関係の「物」です。

 永遠永久の保存は難しいですね。音楽は業界自体が稚拙だから発行が手間だ、という事情がありつつまあそれとして、本については、ここでは考察を欲張りすぎたか、うーむ。

 あとは、適したものがなんなのか、その物の性質にもよるでしょう。たとえば、辞書は辞書として使うなら(辞書は読み物という稀人もいるので)電子媒体が引きやすくて圧倒的にそっちの方がよかったりします。その場合の消尽はどうやら「改訂」になるようですが。

 アニメとかボカロのCDや漫画なんかは、単行本だとかさばるし、ちょっと店頭で買うの恥ずかしいものもあるので(私実はボカロPなのですが、掲載や販売後のサンプルはほとんど断っていました)、家でこっそり買えた方がうれしい。