2016年8月5日金曜日

ルクソールという聞きなれない、なんか怖そうな名前の都市は実はあれだったという話

 暑いのに砂漠の話します。あれってなんだよ。

 ルクソールってなに?って思いますよね。事件が起こったりして。でも、少し前の世界史用語集には「ムスリム同胞団がサダト暗殺と1997年のルクソール事件に関与した」程度しか掲載されていません。サダトの次はムバラクです。で。

 これ、実はエジプト新王国のテーベでした。アクエンアテンがテルエルアマルナに遷都し、その後ツタンカーメン時代に(ギザを経て)戻されます。

 厳密に一致するのかどうかは別として、こういう紛らわしいものが結構あります。特に近現代史と古代をつなぐときには、余計な苦労をすることになります。都が京都府、みたいな。その場合、ネットで調べたり、新しい用語集を見たりすると、多少はすっきりするかも。

 大人になってしまうと、かえって新しく確認された事実や、正確な情報を得るのが、カネにもならないのに何でそんなこと、という具合に面倒になってくるもので。新しいことはきりがない。そんなこといって、といわれてしまいそうですが、最新の成果は最新の成果を出すのが得意な人に社会分業して任せたい。

 予備校の先生方などはデータベースを整備しているので、そういう閉鎖的で(要するにWikipediaじゃまずいよねっていう)テキストリンクする論理的なものがあればいいのですが、私も忙しいので、そこまでは調べませんということで失礼いたします。



 ところで。遅かれ早かれ、以下のようなストーリーがそのうち立ち上がってくるでしょう。

 2009年、米国においてオバマ大統領の誕生がありました。この頃、オバマの演説がすげえのだ、オバマはカラードなのだ、と、アメリカさんの留学生が騒いでいました。

 09年、間髪入れずに、わが国における史上稀にみる「政権交代」でした。そして、その熱はすぐに冷めてしまいました。だからみんな「政権交代に意義があった」と慰めあっていました。この時期は非常に重要になります。

 2007年半ばごろから2008年にかけては、ボーカロイドが既成の音楽を事実上覆していました(市場規模も恐ろしいほど大きかった、ってそろそろ信じてもらえるでしょうね)。正月にはもう世界規模でてんやわんやしていたのでした。そういう国外の事情や文化的な背景もありつつ、しかし2009年後半には、あらゆる事情がもう冷めていました。どうやってもどうにもならない、結局どっちでも駄目だ、何も変わらないままだ、と。

 したがって、その後新興国の革命を受けての国会前の外国人による「常連」的デモのような、ある種メディアが必死に作っていた「過激派」が暴れているのを、最早そういう空中戦は、わりとどうでもいい、別物だ、という冷めた目でそれを眺めていたのが「私たち」でした。新興国からここには還流はしないのです。

 ところが。

 ボカロとか政権交代とか、デモはないけど、世界の中の日本でおこってしまったものであり(過去には日本はそういうキャスティングボードを握っていなかった、はずだった)、あらゆる新興国に発展及び波及していくと考えることができます。中東へ。香港へ台湾へ。だから同じようなことが諸外国でも起こり、まずはチュニジアで、そしてエジプトでは2011年にムバラク政権崩壊に至るのです。もちろん、その後エジプトは軍部の政権掌握により覇権は国民には移りません。むしろ中東情勢は「悪化」しています。リビアではカダフィ政権崩壊、アルジェリアは年中争ってるけれども、シリアからイラク北部にかけては泥沼、トルコでもクーデター未遂。露土戦争なんてのも出てくるロシアにはウクライナ、キプロスの向こうはもうギリシアです。しかし冷たいようですが、これは中東から見た悪化であり、わが国にとっては相当程度どうでもいい話です。それに、むしろ混乱を理由にした自由は広がります。私もこれにあやかりたい。

 すべて一巡してしまいましたが、世界史的には覚えることが増えたということです。あとはもう誰がいち早くこの灰色というのがなんならうす曇りのこうした流れを体系化して、そのうえで、さっさとこの状態をそれぞれが抜け出す、ということでしかないでしょう。

 ちなみに、私は個人的には、人間革命やデモでは、世界は変わらないと考えています。K・B・S!

 上述のストーリーを頭に叩き込んでおいても悪いことはないでしょうね。こういうの、結構みんな考えてることなのだろうかね。