2016年8月2日火曜日

敵が見えない話とその先

 テロリズムから見た敵がよく分からない。

 制度的に落ち度のある貧困撲滅だと感じるけれども、実際には宗教や文化、東西南北のような「雑」なテーマでも人は動いてしまう。

 ところが、(梅田『ウェブ進化論』で述べられた)エスタブリッシュメントから見たら、敵はテロリズム。これも腑に落ちない。

 敵視をテロといって梅田に沿わなければ、例えば、エスタブリッシュメントから発生した当時のネットバッシング。もっと最近であればどうでしょう。アニメの『艦これ』の「敵」は、非常に描きにくい何かです。

 よくよく考えたら、敵がわからないという話は、二項対立の誤りを帰謬したことになる。多極化なり多様化した社会の時代です。

 多極化時代に他を選べないとか、そういうジッターエラーを同期によって潰すしかない。これなら、(自由のため、あるいは再分配のために)公正さを追求するギデンズの考え方や説明に沿います。

 このとき、同期をとるなら、クロックの精度、正しさは、問題にならないですね。相手に合わせるか、信号を送るか、場合により選択して同期できます。抽象的?いやそんなことはないですよ。クロックは現にたくさんあるのです。完全にシンクロしなくても同期すればよい。

 若い頃は見通しの悪いことばかり書いていたけれども、今は内容は全く変化なく多少見通しの工夫が。そも見通しの立つほど、しっかり形に出来ていなかったので。

 それにしてもテロリストのような視点やめたい。