2016年8月18日木曜日

現実の場で安易に批判をするなという話

 暑い日にエアコンつけて飲むホットコーヒー最高ですね。

 批判をやめろ、自分語りをやめろ、という人ほど批判して自分を語って正当化するのだけれども、批判をやめたら、自分語りするし、自分語りしないともう書くものがなくなってしまいます。

 たとえば、そこで他人を語るとして、だれだれさんはすごい!これこれさんはすごい!ばかりになって、じゃあお前は何だ?といいたくなるのは実際の現場にあっては必ず感じるところです。

 だから(評じても)一方的に負荷をかけるような批判はしない。実際にいろいろなところにそういう人はいるけれども。ビジネスでやっているのに、実績なしに他人や同業者を批判している人があれば、そいつはガキだからもう関わり合いにならないようにしようと、まあ大人だからそう考えます。ネガキャンは営業妨害です。もちろん、領域を超えて「あいつはだめだ!」といっている人はそれ以前の問題だと考える。

 これ、ネットの話ではないです。現実の話です。できない人が多い。現実で他人を批判してしまう人、困ります。

 上司にも昔いたのよね。あれくらい俺にだってできる!もそのクチです。

 ミスは誰にでもある。今からでも反省すべきでは。

 じゃあどうすればいいか。黙れ

 これさ、何もしていない(ようにみえて勉強とかして備えている)人まで批判する人がいる。本当に何もしていないと思い込んで口を働かせていると思う。黙ってほしいというより、黙れ、って感じ。

 ネガキャンになってしまうというのは、そういうその上に述べたような自己中心的な視野狭窄から物語を作っているからで、バランサーになることができない職人的労働者なのでは。視野狭窄な人は何もしていないものをすぐ陥れようとするけれども、社会経験が浅い。どうすればいいかって、バランスを維持できるならいいけれども、そう簡単じゃない。私はいつだってバランサーとして現実の場で発言してきたけれども(ネットではさんざんバカにしてきたけれどもこれは本心本音から純粋に事情を知ってそのうえでバカにしている)、これができない人は本当に多い。本当にびっくりするほど、お前は階乗か!というほど多いです。だから、バランサーになれないひとは黙った方がいい。

 ちなみに、私は過去の言動については一切反省無いです。消したものも含めて一切反省しません。その場では反省したフリをしても、一切反省はないですし、謝罪もしません。まあでも、私はむしろ現実での言動に反省が多いですよ。

 某体育会系の習慣で「プールに落とす」というひどいしきたりがあるのだけれども、言動からか昔マジで怖い先輩だと思われて、後にも先にも私だけは落とされなかったという話があります。怖い。

 かたいこといってないで面白いことを書かなきゃなあ、とは思います。そんなこといいつつ午前中に一通りやってセブンの冷製パスタ食って、午後は暑さでぐったりしております。これを幸せというべきかどうか。ああ、ポポラマーマがなつかしいぜ。