2016年8月24日水曜日

貧困がなにか特定の精神疾患のように捉えられることに対する反対意見

 カネかからないといっているとすぐ貧困の話になってしまうけれども、社会が実力主義ではなくて、また景気の変動もあるので、そこから生じる貧困に対して原因を求める行為は愚かに思えます。

 つまり、たまたまそういう状態になるし、不安定だからこそ逆転することもまた存分にある、ということです。そうでしかないのです。だから対策が必要なのに、そこは全く話になっていない。

 社会は実力主義ではない、ということは、東京都知事選に鳥越という人が年功序列に加えた好感度だけで支持者を集めて出馬できたことで、東京の人がいちばんよく理解しているか、さもなくば理解すべき話です。世は好感度でできております。

  市民団体の定義する貧困はなんか素っ頓狂で、カネの使い方がわからないとか世間的な知識がないとかそういうことをいいはじめるけれども、おおよそそういうものは、単純に目立った特殊事例なのでは。景気の波があるのだから当然のごとく「そういう人」も偶然貧困になるし、反対に、偶然で富んだりもするでしょう。市民団体が精神病の患者にしたがる背景は、間に自分たちが入らなければ収奪できないというくだらない理由それだけです。

 金持ち(転落する人含め)に常識あるか?ない。ほら金持ちでいうと某家入さんなんかむっちゃ常識ないし乞食本気で崇拝してるし嫉妬もしてるしだめでしょ。その常識の有無を別としても、貧困はこの社会制度の下で偶発的に、いや、同様に確からしく誰にでも起こりうる話では。

 というか徹底して覚えておいてもらいたいのだけれども、会社が、労働者を、景気悪化という理由でクビにする理由に「精神疾患」がこじつけられるというのは、小泉不況下でよく話題になった話です。小泉政権下で失業者と精神疾患は増え、景気はそのまま悪化しました。

 何よりおそろしいのは、そういう知識のない人によって、たまたまお金がない場合に、あるいはちょっと「いやーもうからないっすねー」ってときに、勝手に市民団体が定義するタイプの貧困に自分またはそういう話をしたとたんからみな入れられてしまうことです。市民団体の定義は予算もらってるわけでない人には関係ないから。

 みんなカタカナ好きでしょ。じゃあそれをヒンコンといって別の話にしておきましょう。好きなだけ熟議を重ねてください。

 最近もう一つ胡散臭い話に、思想が古いからSEALDS(だっけ?きょうみないからしらんがな)は解散した!みたいなやつありますよね。じゃあ現代思想だったらよかったのか?というと、ナロードニキで、だれにも相手にされない展開ですよ。ギデンズを読んでいてバカにされたので、学者肌嫌いのマッチョに対して、にわかに腹が立つのを抑えているのですが。世間を知らない、参与観察をしない子供ばかり出てくる。答えがあるとすれば、世間なんかそのシールズ程度の思想で、大学受験までで捨てろといわれる、そのお得意の善悪二元論を持ち上げておけばよかったということでしょう。くだらない俗物どもが。好きで読書なんかするかよ。馬鹿馬鹿しい。

 これでは永遠に最低生活水準の話に行かない。もし言論思想がこういうものに膾炙していたとしたら、かかわりを避けなければ、ヒンコンにされて窮して死んでしまう。恐ろしい話だ。問題はそういう土壌を作るヒンコンな脳みそが跋扈しているということに他ならない。俗物の感情は理解できないな。

 それはきみたち少数の感情の話でしかない。もっと論理的に話してみたらどうだろう。

 ここは欧米じゃねーんだよ。加害者の家族もコネで渡ってるなら同様に責任がある。素人が。