two thousand five 「2005」
フランス、ドイチュッチュ、中国、ロシア、いろいろな国で数詞や数え方、数に対する変化は不規則で、日本語とは大きく異なるので、面倒.. 学んで面白いと思います。
知ったかぶっておりますが、私もよくわかっていませんでした。
月末までに多少は英語の能力は向上している、という予定です。
意外と予定していたより早く後半へ続く感じですねー。昔はこういうことがなく諦めてしまっていたのでうれしい。
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少し前に「これじゃ広がるものも広まらない」みたいなこといっている方おられましたね。私思うのだけれども、スロパチ音楽業界含めエンタメ業界の方がよほど彼らのいうその「政治的」な行為をしているように思うのだけれども。いやまあ個人の感想だからそれはそれでどう考えるのかは自由で構わないのですが。
たとえばさ。子どものころ聞いたB'zのFireballって曲がいいからブログに貼ろうっていうのよ。あ、皆さま25000アクセスありがとうございました。で、探したけどないんですよ。消されちゃってるのね。ショート版くらい残してくれたってええやん、大阪のあきんど、ケチやねんな。わかってるよ、この世代がアレちょん切られてCCCDを作ったわけよね。子どもの小遣いでシングル1000円は数か月分なんやで。ええやん。
とかいってたらなんか引っかかってOALDひっくり返しちゃった。泣く。
何かと世知辛い世の中で溜まっているのかもしれませんが、確認できない事実の吹聴はもちろんですが、とくに舌のあれこれはアイロニも含めて慎まれた方がよろしいかと思いますよ。お互いね、がんばりましょう。私は戻るも何もないけれども。この曲はあった。ありがとうヒデキ!せいじてきヒデキカクイイ!
あとね、ひとを勝手に「和製ナード」の連携とかいう領域に入れないで。北海道はしらないけれども、わが国は義務教育を徹底しているため、陰湿ないじめはあっても、米国のようないわゆるスクールカーストは、都市部の欧米、特に米国の影響がモロにくるような場所でしか起こらないのではないか、と考えます。それも本人たちはほとんど誤認していて(ニルヴァーナの都市部でのとらえられ方、というものがわりかしこれをよく表す)、わりと平和な感じですよ、私から見たら。うちの田舎には田子の浦に中学生が死体になって発見されるという、浮かばれないような、教師までグルの体育会的、というか野球だねあれ、いじめはあるけれども、そこにスクールカーストを導入するのには無理がある、ということでもあります。いろいろ面白いことをやるときにのってくれる、つまり連帯する「ギーク」なひとはいる。わかりますこれ?まあどうでもいいよ。
「闇討ち」のときに、結構その大人な流れ作業でみんなで作ったけれども、小中学生から「陰湿だ」というような(そのひとりとしては意外な)批判を受けたのが心に残っていて、明るさを出すときにある種の「いじめ」の表現になってはいけないというか、うーん。難しいけれども。応えるべきところだと思うのですが、いかんせんムズい。
大人はみんな汚いけれども、「こども」だからゆるされるんだよー!
という一方的なクズの表現と、
2人~数人で、たとえばマフラーを相手にして陰でこそこそやる談合的な陰湿さ
の表現は別なんだな、と。だから、後者のイメージが、時間的には「後」から入ってきたというのは、すごくわかる。そこを機敏にとらえた当時の子どもはすごいよね、と思う。あのとき、それまでのリン・レンに世間との対称のようにかぶせていたものを、私の世界観で勝手に(やや雑に?)ぶっちぎりPさんのKAITOさんにかぶせてしまっていて、それを全く同じキャラクタにまで昇華できなかったという大人の心(私が作詞やっていたので、これはキャラクタの作りこみ不足か、視聴者のその先を見る目か、または両方)をなにか読まれていたのかもしれない。これも面白いのですが、省略で。
「コノクニドーナッテルンデスカッテキイテルノ!ボーリョクヤメジャン! 」ってムルアカさんもおっしゃっていたので。