2016年6月8日水曜日

老い

 ある一人の人、ないし特定少数の集団から都合の悪いものを全て「老害」だといってレッテルを貼ったり、自分自身を老害ではない無害だ、などと決め込むような人は、自分が圧倒的少数のカスの老害の一端だという自覚が足りない。私は著作権法を常に守ってきました。それ以外は全て破ってきました。そして最後に著作権法を悪法だと、いえます。あなたはそうではないでしょう。まだ包括契約が決まっていないときから何かしていたのではないですか?その上、「老害の物語」を若者に貼り付けようとする。お前らの記憶の都合の良さ=恣意性には釘を刺しておくけれども、スーパーカーが好きなのか、そういうものを投稿していた人もいましたね、著作者が委任する管理者に無断で。

 これだから早漏は。(このページはモバイルフレンドリーです)

 寛容な心で寛大に、当時の大人に対処してきた、ってのはね、何かわかります?本当に自分の都合の悪いことは一切棚上げして。これ以上寛大に接していく自信はないです。

 猛省を促しているのに、全く自覚がないひとが問答無用で一番困る。

 それで、私が話しているのは、おカネの問題ではないのですよ、カネっていっとかないと色々煩いんだよ。ビジネスっていっとかないと信用ができないのはクズ同士お互い様です。ただ、そういうその歴史修正主義的な態度が本当に困るわけですよ。だってさ、コンテンツ自体、曲名自体は、どう人物を避けようと名前出てくるわけですよ。これ以上何やかんや一部の都合で「避けて」も、いわゆる視聴者の、もう無視できないほどの「期待」に応えられない、というのはどうしようもないでしょう。だって、新しいすごいコンテンツが出ても注目されてしまうし、新しいコンテンツが出てこなくても注目されてしまうし。

 レジェンドだから。

 だからできない理由を説明しているのです。一部の人がいろいろその集団に都合の悪い話を吹聴した結果です、って。正確だろ。でもそこは重要じゃない。理由を説明したことに本当は意義があるの。ところが、ゴリ押しでまた「あいつは老害だ!」という非常にこう抽象的で具象に乏しいレッテルを貼って排除に向かう。いつものやり方。誰も納得しない。ネバーランドにいるクリエーターがいかにも使いそうなやり口だな。私はピュー⬜︎ランドでマイメロ抱きながらそれを見ている。そしてうす笑い。

 分かりますか?いつまでその、コレジャナイ、を通せると思っているの?私は社会責任を持って「アカウンタビリティ」を果たしているのですよ。真実より事実関係が重要です。実際そうなんだから仕方がない。そう説明をしているのです。そして理解されず、この体たらくですよ。

 残念ですが、諦めてください。私ももうこれ以上のクオリティで(主に視聴者の)ご期待に応えることはできません。といっているわけです。別に、実力とか老若男女の話ではなくて、そういう事実関係がこじれているから、と、圧倒的大多数に向けて圧倒的大多数の人が納得する形で、説明をしているの。そうやって、人々が甘い希望・期待を抱く水源地へ、率先して毒を投げ、絶望に陥れる。これは本当に楽しい。猛省すれば多少は考えを変えて水に流してやろう(柔らかい態度で柔軟に対応してあげよう)と思っていたけれども、いい加減にしろよ。この、

老害!

 これ以上この「プロジェクトノーフューチャー」企画を推進する気は私はないから。ないので。ピストルズは死んだ!もういい加減自覚症状がないなら、黙って。反省しなくてもいい。黙れ。大人なら大人の対応がある。黙れよ。そうすれば私も黙るよ。まあ、あとね。舌渦だし、大丈夫だから。経験上、49日後に誰も覚えてないから。ひとが死んでもそれくらいで手打ちになります。これが「他の人」だったら、そっちのが相当ヤバいよな。

 ただ、私は、今回は(今度の今度は「状況が状況」らしく、そこにガチでロングシュートキマっちゃっているので、心の底から危機感を出して方々で本気で黙っちゃったりイラついちゃっているけれども、そんな足腰じゃダメでしょ)慌てふためきながら素直に「ごめんなさい」と謝っているみなさんを見て、「しょうがないなあ、男の子だもんね」と申し上げる役に徹しますよ。しこっていいのよ。

 ただね、遅かれ早かれそのくだらない一部の人のこう子どものような対応の結果として説明責任がついてくるときに、先に弱小な個人が理由をいっておいた方が、企業・法人としてのセガさんにもご迷惑かからないでしょう。こういう配慮まで口に出さないといけないの?はぁ。しこっていい?クリエーター?は?知らねーよ。企業が折れたら、お前も折れる、みんな悲しい。そうだろ。社会経験が浅い。それに、その辺の人と違って、圧倒的に求められる責任の量が、別にカネもらってるわけでもないのに確実にあるのよ。先に手を打って自分の分くらい諦めてもらってもいいでしょ。今まで、散々煮え湯を飲まされてきたわけじゃないですか。「若いから」って。「若者の挑戦です!」って。あのね、そういう老害、いや老害というのはやめましょう、クズの始末も未だにできずにいるなら、これくらいは、ありです。最近ではこれにくわえて、若者と企業活動の峻別もできないひとが多いですね。

 もちろん、私もたくさんひどい失敗をして周りに迷惑をかけています。それに関してはいちいち申し上げません。「ご立派ですねえ」も若さゆえの過ちは認めたくない。さっき、老害!って罵倒しましたよね。この時点でお察しいただきたいのですが、私もその「クズ」の一端でしかないのですよ。だけれども、時間は経つのです。社会人なら説明だけはしないと

 最後になりますが、対話云々とかではなしにね、(表面上は)みんな仲良く、で行った方がお互いにいい感じになりますよ。表面上にない人間関係の「機微」は難しいです。コミュニケーションは奴隷の鎖自慢になるなら新規性を大幅に奪うので必要ないし、それがそのまま足かせになるなら本当にそこに居たくない。それは表面で建前上繋がっていても、本音では断絶しているから、それでいい。コンテクストをあわせる程度に、世間の空気との対話で構わないのでは(集合表象の規範・価値判断モデル)。最近の自分が、ちょっとしたメリットも受けてそれをよく理解しているつもりだけれども、どうせまたいわないと分からないので、付け加えます。対話やコミュニケーションは、私には「距離」が「近い」です。関係ないけれども、絶対値の計算をしようとしているボカロPのきみ、偉いね。無責任だけど、きっと未来は明るいよ。がんばれよ。

 しかしねぇ。どうしてその、規模のデカい企業や法人に勤めているのに、「意見を聞いて調書を書いて、真実を藪の中へ、事実を玉虫色の形で報告し、灰色に決着する」という、新人でも出来なければ困るようなトラブル対応もマトモにできないんだ、ビューロクラットの得意分野だろ。事件なんてものはな、事務方にとっては、結局はその程度の、形式的なそれだけ、なのよ。そんなことでよく生きていられるな。羨ましいよ。そういう世界観もきっとあるんだな。人を殺したことはあるか?

 東京くんだりにはトラブルの存在しないお花畑があるのか。疲れているのでしょうか、twitterで呟かれるあらゆるネガティヴな言葉が、手当たり次第すべて自分の悪口をいっているように感じられます。被害妄想かな。やはり日本国民であれば、恒久平和のためにもtwitterはすぐやめるべきでは。ソーシャルって本当ネットのガンですね。現実の社会関係が何も生まないことくらいは知ってもらいたいし、だから組織に保守が求められる。