2016年6月23日木曜日

快適なエアコン

 もう16時か。やべえな。

 どうもエアコンを今更つけるのが我が家の「マイブーム」のようで、階下にもエアコンが取り付けられました。最近のエアコンはボタンひとつで適当に空調してくれる上に、実際快適なので、皆さん無理せずエアコンをつけて過ごされることをお勧めいたします。

 つけるよ。



 自分のできる範囲で物事進めていこうと思います。その「できる範囲」が不当に妨げられたり抑えられると、解放するまでに何年もかかってしまうけれども。15秒だけのシンデレラなんかやってると振り切れるらしいよ。大人になったら「気の緩み」は誰も引き締めてくれないから、気をつけたいですね。どちらかというと、他人に過干渉しないように気をつけたい。

 だからこそ、もし何か自由に見えても「自由に振舞っている演技をしている」であるとか「クソさを求められている」ことを、必要以上に強調しないといけないです。とても難しい専門書を何十冊も何百冊も読んで、いろいろなものを受講し、そうやっているので、全くの自由・大自在ではないです。例えば勉強して数カ国語でコミュニケーションできるということは、それで自由になるのではなくて、その分だけ各国法や文化的な規範に制約されていくということでしかない、というのは、ご存知のことかと。

 一方で、それに対して他人にどう思われるか、どう見えるか、そこまで解釈をキツくするつもりもないです。

 自分がどう見られているかなんて、もうニンゲンの数だけ先入観や恣意性が働くので、仕方がない。別にネットに限らずそんなものですよ。はっきり起きているときに「眠そうな顔をするな!」と上司に怒られたこともあります。これは、ミスなのか?という。あるいは、やたら古い心理学の誤った術語で都合の良い解釈をする人とか困った人もいるし。「自己愛」とか「抑圧」とか安易に使ってしまう方ですね。

 最近よく出現するウザキモい奴では、他にも「ん」を使うとやったらめったら怒る人とか。じゃあさ、お前、関西弁の人に「日本語話せ!」っていうか?まあいいのだけれども、割とそんな感じでヨノナカになってる。

 ただ、他人に同調を求めるなら労働にあたるので、ぜひ対価を払ってください。あの、対価を払っていただけたら、その通りいたします。いきなり「おっぱい揉ませてください!」っていわれて、タダで揉ませてくれる人は、逆に引くわ。うん。神に祈れば自分が通ると思うのは勝手「なだけど」、いい加減そういうのは対価なしに労働するボランティアで変えられると思っている奴はうざいじゃみたいな。

 「ん」を多用しちゃいけない、みたいなこと言う奴、いい加減滅びでもらいたいだよね。あんさ、NHKがいっているから日本はニッポン、ってそれ別に日本の法律で「決められてんじゃないんで」。ちなみに、「ん」を使った方が文字数を削減できんのよ。「決められているのではないので」は、長いし、「の」が続く。

 そんなもより、「承知しました」を「承知いたしました」といったり、「かしこまりました」といったりすることを広める方がより実用的ですっきりできる話な「」だよ。社会経験がないバカは短信が至上である無線を使えないという典型だな。なんかこうネイティブはこう発音する!に近いものを感じる。インドの英語はネイティブだろ。

 日本語学習者が「ん」の多用によく疑問を持つだけど、あのさ、その程度の日本語の教科書なんかマジになって読んでも何も身につかないよ。足の不自由な人に、もっと足を使って動け!っていうか?お前の態度むかつく、って、態度の悪い風に感じた人に対して、言い放ちます?それってさ、生身の感情をむき出している、ある種の精神異常なじゃない?「ん」でダッキングする電パチでもかかってのか?やたら「ん」を気にする障害者。もっと優先して学ぶべきことが多くあるのに、それを飛び越えて、形式だけ自分の都合に合わせるようにやたら必死に否定しようとする。「自然」という単語が誤読されてきた背景を探るような話ではなくて、それは、例えば左手が利き手の人に右手を使えという、そういうタイプの無知でしかない。「箸の持ち方が悪い」だとか、姿勢が悪いだとか、体型が細い太いだとか、常に自分が健常者と誤解して何らかのべき論を発信しているタイプの、自覚なき異常者というものが恐ろしい。そういうものこそ治療させるべきだ。過干渉ですよ。行き過ぎ。このブログでは「ん」を積極的に用いてきたいですよね。昔インタビューを受けたときのものを今見返しても、「ん」を多用しています。それは全くおかしいことだとは考えていません。因縁ふっかけてんじゃねーよって。

 他人の言葉尻を捉えて文句を言う人、エアコン入ってないじゃない?ラングとパロールの違いですよ。エッセイであれば、そこを入ったり出たりする楽しさがあるのでは。では?いや、ある。

 あいてじゃ