2016年6月28日火曜日

人間が日本でチャレンジするために必要な具体的金額

 7万。

 「年間」に「7万」あれば諸々除いて「維持」できます。しかしこれでは当然生活はできません。けれども、この額でさえ、まともにやっていたら稼ぐことができません。「ゼロからのチャレンジ」とか「自立支援」とかいいますが、7万なければゼロではありません。今はもっと厳しいだろうね。そして大半が失業しているとき、これは、どうにもならない。よほどガメつくジャイアニズムをふるって、うちの親父のホワイトな会社より稼ぎが少ない経営者とかいるけれども、そいつが率いた集団では何をしているのか、そいつより稼ぎのない労働者はどうなっているのか、考えてみると恐ろしいし、若い頃に苦労すると、色々と視野が広がって云々、傲慢にはなれないね。

 で、なぜこの額かというと、これがそのまま法人あるいは社団に課される税の額面だからです。個々人の活動、というものは、そんなにこの社会では重視されない。「ゼロから」、ということはありえない。ただし注意願いたいのですが、ゼロからの挑戦という意味でのゼロと、リスクは別物です。まあリスクなんかないけれども。

 7万を市場で稼ぐことは難しいです。100万稼いでも90万飛んでいくこともあります。レバレッジや借金で口を広げても、マイナスになるリスクがあります。これは商品でも同じです。貿易でも。なんでもそうです。ですが。

 ちょっと待ってください。7万くらい手元に渡しても、それって生活保護の不正受給よりも少ない額ですよね。つまり月間でも7万くらいは稼げることが正常で、そうでなければ異常と判断します。私の考える範囲で、静岡県は異常です。そこきて、若者は非常に厳しい立場で世間から「自立自立」「勉強勉強」とせっつかれます。無視してください。

 生活保護を受けるよりも労働賃金が安いとき、市場(この話の場合には労働市場)に資金が潤沢に回っているとは考え難い。その場合には信用貨幣の価値が下がります。つまり、上流か下流か知らないけれども、水門で水の流れをせき止めているというのか、抱え込んでいる者があるときに、それを潤沢に回さなければ、いくら持っていても信用がない(結論は労働市場だけに当てはまらずあらゆるマーケットにおいて共通)、ということです。年間7万という額は相当ケチってこれを考えつくのだけれども、すごく少ないと感じられます。馬鹿がうるさい最近のこの世間では、まさに誰もが生きているだけで即ちこれ無償で労働しているのです。対価を受け取る義務があります。労働せずにフリーライドする人とは、要するにつまるところ景気循環に寄与せずに搾取をする人に他ならないです。悪意ですね。これがデファクトになっているときには、人口が流出して行政の取り分が減り、悪循環になっていきます、当たり前でしょ。そうすると誰も得をしないし、住宅街にまで無理やり馬鹿な企業を入れはじめる困った人が出てくる。

 平家物語というのは、ある種の落人にとっては「平家に同情する」ものなのだろうけれども、私には、馬鹿(=風の前の塵)は死ぬから、早く死ね、家ごと絶えろ、せやからいうたやろー、という話にしか感じられない。いうたやん。ウェーイ、死ねばーか。

 ちなみに、何らかの申請をするだけで、そういった具体的支援を得ることは可能です。最近は失業保険も申請しないと入れない馬鹿がいますが、そういう細野豪志ってる連中は一生田舎で社会主義ごっこしていてください。自称リーダーやカリスマのように、理屈通りの経営者に向かない人は、経営に口を出さない。

 政治家は経営者ではない。予算で食ってる経営者が政治家の事務所の直下にオフィスを持っているとき、そいつも経営に口を出さないこと。フリーライダーでいたければ黙っていてもらいたい。私はそういう予算補助金で食っている諸君とはハッキリいって、違う。実は、あらゆる人にとって望ましい政治家は経営者ではなくて何も知らないが賢い乞食です。つまり、メロスですよ。知らない人。政治がわからない奴ほど、メロスには政治がわからないというようなことをいう。そういう発想の「小説家」が政治をはじめるときにこそ、私は全力で落とすべきだといいたいですね。

 なぜならカネの話をわかっていないからだ。

 天から金は降ってこないとか、(自分の考えた偏狭な型枠の内側での)労働をしなければ稼げないとか、経済の原則も計算できないのに、いつまでも意味不明なロジックで考えているから現場で働き続けることになるのでは。無意味なのに嫌なことをさせられる。水を売ったりとか。これは、サラリーマンだろうと官僚だろうと、天皇だろうと、あるいは弁護士であろうと医者であろうと土建であろうとミュージシャンであろうと馬鹿であろうと天才であろうとモンスタークレーマーであろうとキチガイであろうと乞食であろうと同和であろうと、何であろうとそういうものです。「天は人の上に人を作らず、人の下に云々」ってあるけれども、その先に「しかし実際には」みたいなことをいうのは、本音の共産主義とその優位、あるいは共産主義社会が実現したところの平等を、何も理解できていない。自由とは矛盾するけれども、対立するわけではないですよ、平等。

 要するに、ゼロかイチか、みたいな二項対立が蔓延した衆愚状態が実際に発生している、ということです。悪いけれども、その考えでは誰もハッピーになれない。「東京で」その額を出せないで困窮しているとしたら、才能がない。死んだ方がいいですね。そういう意味でも、東京に帰りたいと思うの。東京というのは、息をするだけで生活できる。それは冗談ですが、静岡は息をすると事故になる。東京に戻ります。ここは私の家ではない。