2016年6月15日水曜日

ローのロードローラー

 たとえば、主に20Hz周辺のローは、位相を揃えるのに気を使いますが、揃わないときに何が邪魔をしているのかがわかってきました。ぶっちゃけ、ローを切り忘れたギターだったりとか、出しすぎているベースの音とか、そういうものでした。

 で、じゃあどうなんだというときに、ギターが入る作例をどうぞ。

 作例

 作例のない解説は説得に欠けるし、聞くべきではないです。たとえば、批評を読むときに引用がなかったり規定が守られてなかったら(誤字を見つけて「ママ」と書かずに修正してしまったりしてはいけないとか)、そんな評論と評論家はまがい物でしかないです。そうでなければエッセイと最初に断るべきなの。

 さて、ギターが入ると乱れます。切った方がスッキリするかもしれないし、キックが揃っていたら少しくらい遊びが出てもいいようにも思います。それでも30Hzが気になるので、多分私は切る。しかしそうすると減退させた分だけビビりが出る、ううむ。悩ましい。欲のままにむしゃぶりつくか、それとも理性によって抑えるか。

 もうひとつ、こういうテイストの曲ではダボついた3kの処理と、ゆるやかなカーブでの16kに向けたローパスハイカットで、かなり引き締まります。特に3kに関しては、その上の帯域に、いわゆるラウドネス曲線で鬼門になる4kがあるので、3.5を中心にQを広く取ってやるのがうまくいきますねー。これなら5.6〜6kあげたい人も処理がしやすいし、ボーカルの2kからギターやベースの倍音が美味しい3kをうまく回避できます。削るときはリニアフェイズのEQ使うといい感じにザラつきを防ぐことができます。

 作例2

 ここまでやってくると、もう少しだけ突っ込んで、ある程度議論を通った、従来以上に正確「性」のあるメーターが欲しいですね。この20年は、どうしても「圧縮」があるので、一発で回避したいというのが本音ですけれども。

 私も、もう少し資金に余裕があったら、本を図書館に返却しなくてもいいから、いくらでも引用も注も入れますよ。ブロガーがもうちょっと引用しやすくなればなおよいけれども。でもまあこれはこれでこのスタイルを続けます。

 そういえば、最近笑ったネタがあってですね。よく国語の試験問題などで「心情」を説明するやつがあるじゃないですか。最近もあるのかな。多くの人から注目されるような作品を作った人の気持ちを考えている人がいて、その答えがまた酷いですね。何か特別に秀でている部分があるかのようなことを、一概に当てはめている。

KBSトリオ


 2010から2015までの期間では、俗物が増えてきます。いくらも(ステマという以外にないような)企業活動に組み込まれているでしょう。自分で自分に広告費積んだりとか。お前何見てたの?カネとコネだろ。あとあれ、暴力、あとセックス。

 昔「キミは一人じゃない!下手だっていいじゃない!」っていう曲があって、その部分もう何いってるのか私でも聞き取れなくて相当イラっとしたのを覚えています。だから、「音楽も楽器もできないお前に用はない期待もしてないない」ってやってたら「変質者にアイスはやらない」って歌詞ができたことがあります。そして中国語に翻訳される、とかアツい。



 使っているものは同じなのですが、どこで差がついたのか。今でもあれ何いってるかわからないのだけれども。サビ前ね。相当な廃人だと思うけれども、何いってるのかサッパリ分からない。そういうのって、不当な差別を助長すると思うのですよ。「カラダ売る空に目がパンクしてブニュにボクを楽しもう?」とかなんかそういう。「ぼくのほうが鏡音をうまく操縦できる!」という感情を煽るにしても、これでは不安になります。

 もちろんそれは、後にアペンド発売時のサンプルとして見事「解決」された問題です。

 その頃はまだかろうじて企業に個人(経験としては、セオリー通りにだんだんスケールが大きくなってはいたけれども)が皮肉いって蹴りを入れることができたのよね。でもってこちらは「ここまでできますよ」という「現実」を提示しているのに、いたのですよ、「なにいっているかわからない!」ってフューチャーからコメントわざわざしにくる方が。未来のことはわからない。要するに、鏡音リン・レンの代表的な曲として自分たちの作品が見られてしまって、なんとびっくり、鏡音リン・レンへの文句まで私たちにいってくるわけですね。さすがレジェンドや!俺はクリプトンか!俺は道民か!みたいな。試されるボカロP。これが辛かった。でも、仕方がないんですよ。

 レジェンドだから。(泣く)

 二度いった。でも、代表である以上は「もっとここをこうしたらよくなるよ」みたいな、名人様の叱咤激励コメントも安直には受け取る必要はないです。発売数日で出来たものにお前は何を求めているのだ。もっと冷静になれよ、9年も前のコンテンツに文句いうのはクリエイティヴじゃない。だから、最近はそれでもどうしても溜まってきた誤読を一度フラットにすべく、コミュニケーションを断絶しまくってます。主にイラスト方面の話でしたっけ?こうしたらよくなる、というコメントは、多くのそれなりにそうなった経験のあるクリエーターであれば「必要ない」と考えているそうです。私もそう思います。妖怪のいうことは聞くけれども、それは同類だから許される叱咤激励だと思いますよ。

 もっと滑舌がいい人、というのは、どのPか、あなたか知らないけれども。えー、ぶっちぎりPさんもご存じない?へー。(KGB並みのdid you know?)そして湧いて出る名人様。さらには、現実にまで現れてくる名人様。そういう風評で、滑舌が悪くてカワイイ!と勘違いしてしまう人も。V4Xまでずっと悩み続けた。これがその、子育ての苦労です。母乳が出るようになりました。またデリカシーのないこと言いましたね、はい。

 ぶっちゃけそういうものだけでなく、死ねとか殺すとか連日書き込まれたりして、その書き込みやコメントで胃に穴開けている有名ボカロP多かったですよ。ほめ殺せば、体調よくなってもっといい曲がいっぱい聞けたかもしれないのに。でもそういうの書き込むのって、結局は自分ができないことを現実に見つめられない「精神的な子供」なんだろうな。ちなみに、レンくんは何故かそれほど荒れないですね。

 もちろん、カネが絡んでいたら本当に殺してしまいたくなるし、殺すという殺意をはっきりと伝えていいのだけれども、カネ絡んでないのに死ねとかいわれたら、そいつ殺して死体ひき回した後で磔にして1週間程度晒しておいていいんじゃまいか。

 またなんか、その統計的に聞こえのいい音だとか長調は明るいだとか馬鹿なこといってるけど、音響心理とか統計でなしに、恣意性であるとか、認識に関しての言語学を学んだほうがよほど効果あるのでは。とても曖昧模糊としているけれども個別に捨象していただく前提で、ソシュールの周辺をちょっとかじるだけでだいぶ違うと思います。言語学という、言語に関する比較的整った領域があるのです。その前に、批評や書評のルールを学んでほしいけれども。モラルとかではなく(学会の書評でも文系は口悪いですよ、むしろ批判が求められる領域なわけだからね)、書誌情報を記すとか、脚注や引用の方法など。とはいえ、私が他人を批判できたものではないところに疑問が残りますが。

 現実の場でも「声が小さい」とか「滑舌が悪いから聞き取れない」だとか因縁つけてくるうざいやついるじゃないですか。土建屋のバカっ小僧みたいに、ハキハキ声がでかい奴は、本当に聞いていて殺したくなる。静かに話せよ。住宅街に税金が投入された商業施設が入ってくると税金で回っている土建が入るから必ずこういうのがいるのだけれども、工事の騒音以上にうるさくて害悪でしかないです。あと、ジャスコみたいな「人が集まるところ」では、必ず犯罪発生件数が上がります。商業の対象とする客層が無差別で、広いから。そういうところに価値を感じる人もいれば、うざったいと思って成城石井に行く人もいるでしょう。

 さらに、ものによっては、(質を求めた場合に関して)線型性がないと、つまり、曖昧なものに対するときの工業的アプローチを、せいぜい言語の学問に対する下位にしないと、ただのゴミにしかならないという技術もあります。機械翻訳とか人工知能。あと、ディザね、これも確率だからね。こういうものは前提が誤っていることがあるので、峻別しなければいけないと考えてしまいます。やはり例文をそのまま一言一句違いなく使っていく方が英作文の勉強にはなるのよね。そっちの方が伝わるし、せいぜいその「例文」でことは足ります。


 でも、やっぱりイラストやPVがカワイイ。いやほんと、皮肉だけれどもイノベーションのつなぎとしての「カワイイ」って重要だと思います。技術が成熟してもカワイイ。かわいくなくてもかわいさがそれをまた引き立てる。時効つながりで、でもいい(いい?)ものはいい。




 来世のまた来世くらいでこういう曲作れるようになろう。ストーリーを解釈して描けるPVの方も本当に素敵。いや素敵といって語弊があれば、心つき動かされる感じだなあ。恋というよりむしろ夫婦間に起こるべくして起こる困難みたいなものを感じてしまったのは、大人になったからなのかしら。それを14歳(?)が必死に演じるギャップにハッとしたときに、またカワイイ><;

 まあなんだ、かわいきゃいいんだよ。うん。