2016年3月14日月曜日

取り込み中なんです!

 諸々置き去りでホントすみません。しかし道具は研いでおります。

・DC漏れか、DCオフセットを除去するか
 回路好きの人に説明するときに、これが便利だな、と思ったのは「DC漏れ」です。これは、いわゆるトランジスタの技巧が輝いているアナログ機材では本当に手間がかかると思います。

 「電源を入れた後、突然切れてしまいます」というジャンク品を見たことはあると思います。高価なものであれば、ヒューズ切れか、DC漏れによる保護回路の作動を疑います。さらにコンデンサの容量抜けとか、半田接合不良etc..

 DC漏れは、「オフセット除去」を完了すれば終わります。これが、いわゆるデジタル信号処理です。

 そんな私ですが、そもDCオフセットなんて存在しない環境で育ったので、数年前までよくわかっていなかったし、こいつが電気を使うアンプの動作不良の一因だってのは最近知りました、テヘッ。プロに任せたいけれども、「買い替えてください」しかいえないプロフェッション連中の中に、果たして信用できるプロフェッショナルの中のプロフェッショナルがいるだろうか。いや、いたためしがあったでしょうか。

 もう少し立ち入ってみると、DCオフセットを「適正」に除去するのは、もし大音量で鳴らした時にドローンでスピーカーが吹っ飛ばないようにするため、このセーフティー・ファーストが必ず存在します。もう一つは、いきなりオフセットで始まったときの無音部に出る違和感と、曲全体を通して、低域のクリアな状態を維持するため、という美的センスと心遣いの問題です。

 まあでも、これがそのまま「ヤコブソン以来の疎密」の、巨大俗物たる形而上学的「産業」大衆に対する無力さを物語ります。あくまで野生の思考でやっていかなければいけない。WSD?は?何言ってんのお前?

・リアルタイムでの「補正」
 でも、リアルタイムで補正できないし、それってコンテンツだけの話じゃないの?ご安心ください!職人が腕によりをかけて開発した新技術「モーテルカリフォルニア(米国式マッサージ)」で解決可能です。

 知らんけど。

 じゃんけんの必勝法は、相手が出した結果を確認してから、勝利可能な結果を出力することです。同じように、リアルタイムで流れる音を流しておきます。ここで、もうひとつの全く同じ遅延した音を流します。リアルタイムで流れる音に不都合が発生しても、聞いているのは「遅れた音」ですから、不都合に合わせて遅れた音を好きに解釈してしまえばいいのです。まさに、あなたの色に染めてあげてください的展開!

 早漏と遅漏、であってはいけない二人が出会ってしまったとき、ここから恋がはじまります。

 「やっと会えたね」

 「700年ぶりだね」。

 恋の「ボルテージ」をコントロールすると音量が変わります。激しいときには激しく、冷めているときには静かに。

・なぜ最近時間がかかっているのか
 バカだからですが。あのですね。実は機材の中でも最悪に複雑なAVアンプから部品を調達しています。1000円とか2500円で、まあびっくり32Bit処理で理論64Bit処理のDSPサウンドから、大量の192KHz対応DACに至るまで、普通に買ったらツボ売りが60万円で売ってるような、わかる人にはわかる価格崩壊した鮮魚の「大漁」なのですが、いかんせん世界で一番複雑になりたい年頃の娘でございまして、内部は複雑を極めます。さすがに、何をやっているのかすべて理解していても、分解だけで数日かかることは必至の民芸品を淡々と捌いているために、時間が全くありません。申し訳ない。そのままでは使えないけれども、すっごいいいですよこれは。オススメです、万人ウケしないけど。ある意味では、都市に出現する金鉱ですよ。こいつから何台良質なアンプが作れるのか、そこから何曲生まれるのか、ということですね。あと、遠隔操作でボタン押すと、なんか開いたり、回ったりとかするの、わりとすごい。

・できないこと
 自分一人ではプログラミングができないです。メカや調整とかはできるとしても、肝はここだろうなあ、と。専門の人がそういうのやった方が面白そうだし。

・音の批評性
 求道者的に「いい音」を求めさせていると「ピュア界」とか自称「聞き専」に行ってしまいそうな作り手がいて、儚いですねえ、と。ある程度の技巧的余裕がある者こそ、そういうギスギスしたくだらない争いは避けるべきです。

 そこに手段を選ばずに殺すべき共通の敵はいるのかい?

 DTMライターが取引先の商品の付録を「下手なUSBのDACよりいい音がしますよ!」というとき、ああこいつはレベルが低い、とは思いますけれども。執拗にApple製品でUSB端子を使おうとする姿勢とか、ゴミ以下ですね。12点。そんなに使いたければ回路起こせ。線引っ張るだけだろ。

 そうではなくて、リスペクトの領域にある人に一方的に批判されるのは、嫌だということですね。あるところからは、考え方の違いとかあるはずです。