私は三十路になると、まるで有事の円買いのごとく急に体力が衰えて下降の一途、それでやる気が失せました。次第に記憶の限界が狭まり、肩が上がらなくなり、動悸息切れをするようになり、まあ元からだけど色恋に興味もなくなり。どうせダメ人間ですよ、人間のフリするのもいい加減だるい。
そんなに働くための(つまり労働市場の)敷居を高くして、一体何をしたいのか全く理解できないし、これはそのまま労働の衆愚になっている。
そういうのが格好いいのだとか、この価値観はダサいという話ではなくて、体力に見合った減退をしていこうと思いました。もう少し小銭拾ったら、楽なことならやりますよ。迷惑にならない程度に近所のゴミ拾ったりとかね。体力が落ちたときに、可能な限りは、人としてダメにならないように努めてみたいです。
しかしね、宮沢賢治のように教科書的ではないのよ。ある女性が「60になったら不倫くらいお目こぼしでしょう」といったときに、20代の私は本音で「いやいや(ないない)」と答えました。しかしね。最近、60になって生きていたら、不倫はないけれども、海外旅行の片道切符は、これはお目こぼしだろうな、とは、思う、ちょっとだけね。ちょっとだけ。先っちょだけ。先っちょだけだから。いうだけならタダだから。海外で善行を働いてアフガニスタンの太陽になろうというのではないです。そんなもの日本円の前には、塵ですよ。塵。塵。世の中なにで回ってるか、これだけは忘れてはいけない、せやで。
いやー、西瓜割りしちゃいかんですわな。