2015年11月16日月曜日

はいせつ

 テツガク的なことを考えていたら導き出されたのは、「GO IS GOD」でした。とても汚いタイトルなのですが、排泄は音に似ています。

 この音を出したい!と思っていて出ない状態は便秘。出るときは快便で、便秘と快便を往復するのが出音の不安定、意図しない歪みは、何らかの痔だ、と考えると、相場観じゃないけど、私の考えている音響観というものを明快に説明できるのです。

 いぼ痔とかあるとうんこの形変わるじゃん。あれですよあれ。そうあれ。

 うんちだね。クソだな。

 歳をとると肛門が緩みやすいとかで。その分、いろいろ食事もおいしいものが食べられたりして、濃厚な排泄が、いやもうやめますけどね。昨日本当に疲れていやな1日だったけれども、翌日これが浮かんで、もう全てどうでもよくなってきたのでした。苦あれば楽あり。最近の私の出音は、安い機材でも意図通りに出てくれます。排便は、ちょっとまだボラギノールがですね。。この議論がバカにできないのは、肺臓気流を肺の容積から割り出すという先端的な物理モデリングの研究のように、便の総量と形状、それに対する快・不快の感情によって、個々人の出音の要求を数理論理的に把握できるということです。

 KBSトリオとかもまあね。最初はリアルボーカロイドみたいな髪の色だしなんかとっつきにくかったけれども、哲学的諸問題よりも実践的問題の解決を明快に導き出していると感じることが多い昨今です。

 ただ、「曲」を排泄しているのではなくて、あくまで「音」で発想すると、こういう例えもできるということです。念のため強調させていただきますが、音の話です。出音の。

 それから、個人的にですが、ジハーディ・ジョンさん。どうか安らかに眠ってください。彼とその上層機関によるメディア戦略は、遠く日本に届いたとき、私たちの手で、遊びの道具として、完膚なきまでにコケにされてしまいました。こうして、イスラム国のカッコイイ印象の勧誘戦略が、これを海外大手メディアが次々に報じたこともあり、徹底的にダサい印象に置き換えられて機能しなくなるという、ネット利用の戦闘員勧誘戦略において致命的なヒビを入れられてしまいました。さらに、今やその失敗した宣伝の象徴で、人質の取り扱いに関する要にあった彼は、最後はシリアにおいて、米軍空爆により車両ごと爆撃され死亡したということです。あまりに悲壮で、また壮絶な負け方で終えた人生でした。長い間、お疲れさまでした、ありがとう。人格者で、イスラム国内では「イギリスの兄弟」と慕われていました。8500kmがもっと近く感じられたら、また別の関わり方があったかもしれないと思いますし、あと数百年、数千年と時間が経過したときには、融和できることを望みたいものです。